誰でも一度はやってみたことがあるのが占いです。占いの結果を見るまでは少しドキドキしますね。特に、女性であれば占い大好き人間が多くて、好みの占い師がいたりします。人気の占い師に占ってもらうためには、予約が必要だったり、長蛇の列で長い間待たされたりします。それでもお気に入りの占い師に占ってもらいたいのが女心。

最近では自分で占いの勉強をして、その趣味が高じて占い師を目指したいと考えている人も増えてきました。でも、占い師になるにはどうしたらいいの?占い師になるには資格がいるの?などわからないことだらけ。

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占い師の歴史「陰陽寮(おんみょうりょう)」

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 日本が国家としての体制を整えたのは7世紀後半~8世紀で律令制の登場時とみるのが定説のようです。律令制とは刑法としての「律」と行政法である「令」をベースにした法治主義的な制度をさします。律令に基づく8つの省からなる中央官庁のうち天皇と直結する行政の中枢中務省に陰陽寮は設置されていました。

 8世紀には大宝令と言う法律で、占いのお役所の機関である「陰陽寮(おんみょうりょう)」が設けられました。陰陽寮は、律令制において中務省に属する機関のひとつで、占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署のことを指します。

 長官は陰陽頭で、陰陽道に基づく呪術を行う占い師陰陽師がいました。さらに、陰陽師を養成する陰陽博士、占星術を行使・教授する天文博士、暦の編纂・暦作成を教授する暦博士が設置されていました。その下で学生・得業生が学び、漏刻博士は時計(漏刻)を管理して時報を行っていました。映画化などもされて陰陽師で有名な安倍晴明もこのうちの天文博士に任命されていたんだそうです。

 天平宝字2年(758年)から8年まで「太史局」と改名されていた時期もありましたが、陰陽寮の名に戻り、以後、継続されていましたが、陰陽頭土御門晴栄を最後に、明治3年(1870年)に廃止されました。

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このページは、jyouhouが2008年6月26日 11:14に書いたブログ記事です。

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